王宮夜想曲オフィシャルSS

タイトル 「月夜の悪戯」

『Cool-B 2006 vol.6 』 収録 『Cool-B Sweet Princess vol.1』 再録

「皆、ローデンクランツの舞踏会へようこそ参られた。今宵は特別な夜。仮面の奥に秘された皆の喜びにこの城もいつもより輝いているようだ。どうか、心行くまで楽しんでいただきたい」

若き国王の口上が終わると共に盛大な拍手が湧き起こり、ざわめく人々の心を誘うように流麗な音楽が流れ出した。

年に一度の華やかな舞踏会。仮面で顔を覆い趣向を凝らして着飾る紳士、淑女で大広間は溢れていた。数年前の悲惨な事故を乗り越え堂々たる身振りの国王を目にし、誰しもが仮面の下の表情を和らげている。国王の双子の姉であるローデンクランツ王女も、その一人だった。

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「姫、そんなところで何をしている? 今年はカインの隣でお前も挨拶をする予定だったろう?」

隠れるように壁に身を寄せながらカインの姿を見守っていた私に、一人の男性が近づいてきた。仮面をつけ姿を変えていても、誰なのかすぐにわかる。豪奢な猩々緋のマントに煌びやかな金髪。

「エドガー? ……よく私って分かったわね」

今日のために用意した仮面をつけ、髪も結ってある。いつもと違う自分を演じるために衣装だって変えているのに。

「フッ……気付かれないと思ってるのはお前くらいだ」

呆れたような声は昔から変わらない、従兄。即位したカインを影に日向に支えてくれる彼には感謝してもしたりない。

「それで? 何故挨拶をやめた?」

「勝手に予定を変えてしまってごめんなさい。……そうね、カインをゆっくり見たかったの」

僅かに言い淀む私に、機微に聡いエドガーは気付いただろうか。

「何を今更。……しかし、よくあのカインが許したものだ」

確かにそうかもしれない。別行動をしたいと伝えたとき、カインは拍子抜けするくらいあっさりと許してくれた。

考え込む私の耳に、聞き覚えのある声が入ってきた。

「カイン様! 姫! どちらにおいでですか?」

……? この声は……?

「……ジークか。まったく。このような場で人を訪ね歩くなど……」

周りの迷惑にならないよう、ジークに駆け寄り極力声を落として呼び止める。

「ジーク! 私はここよ! 一体どうしたの?」

いつもと違う雰囲気の服を着ているジークに、エドガーがいなかったら分からなかったかもしれない。それはジークも同様だったようで、少しの間をおいて答えが返ってきた。

「……姫、姫ですか? ……ああ、良かった……。皆、普段と雰囲気が違いますので誰が誰やらもう……」

「ふふ、貴方もいつもと違う雰囲気で素敵よ。よく似合っているわ」

「あ……ありがとうございます……。フランに見立ててもらったので……。姫もとてもお綺麗です」

そう言ってはにかむやいなや、何かを思い出したように顔を強張らせた。

「そうでした、姫! カイン様がいらっしゃらないのです。方々へのご挨拶もあるのですが一体どちらへ……」

「……言われてみれば、どこにいるのかしら?」

「ひょっとして何か問題でも……。姫! カイン様をお見かけしたら私のところまでいらっしゃるよう、お伝え下さい」 

「ええ、分かったわ。私も捜してみるわね」

慌てた様子を隠しもせず小走りで去るジークを見送る私の前に、黒い影が落ちる。顔をあげると、仕立ての良い服に身を包んだ男が立っていた。

「美しいお嬢様……是非一曲お付き合い願えませんか?」

目元を隠しているとはいえ、野卑な笑いを浮かべている印象を受けた。

「え……あの……」

どうしよう……この人と踊りたくないな……。カインを捜しにも行きたいし……。

戸惑っている私に、いつの間に傍に来たのか、エドガーが素早く耳打ちをする。

「マントの襟元を見ろ。ブラヒストからの賓客のようだ、くれぐれも失礼のないように」

エドガーは会釈を済ませると私達を残し大広間の中央へと歩きだした。

仕方がないわ……。僅かな逡巡ののち、私に視線を送る相手へ手を差しのべる。

「お相手できて光栄で……キャッ!」

相手の手に触れる直前、何かが遮った。

「失礼、彼女は私と踊る約束をしているんだ」

私の腕が見知らぬ男性に強く掴まれていた。

「……あ、あの……貴方は? 」

その見知らぬ男性は事態を把握させる間も与えず、強引に私を広間の中央へと連れ出す。

「その……ごめんなさい!」

突然の出来事の連続に、私はブラヒストのお客様に深く頭をさげるのが精一杯だった。

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男性は流れるような動作で私の腕を放し、私を音楽へ誘うようにして舞い始めた。私の手を取る動きがとても自然で、思わず私の身体も慣れ親しんだ歩を取り始める。

それにしてもこの人は誰なんだろう? 私を助けてくれたのかしら……。

「あの……私、どなたとも約束なんてしていなかったわ。貴方は……誰?」

「フフッ……お嬢さん、仮面をした相手に素性を尋ねてはいけませんよ」

「あ、そうね……ごめんなさい……」

「私はあなたの美しさに惹かれてここまで来た、それだけです」

「え……? 貴方、私のことを知っているの?」

「さぁ、どうでしょうね」

そう言って微かに口元を緩め、私の手を強く握りなおした。

あ……。さっき腕を掴まれたときにも感じたけれど、この人……どことなくカインに似ているんだわ。声は少し低いかしら? ……でも聞いていてなんだか安心する。

……きっと私の勘違いね。カインは私にこんな態度はとらないし……何より私と踊る暇なんてないわ。そう、香りも違うし……。

「お嬢さん、外へ出ましょう」

男性は笑みをこぼすと、重ねていた私の手を引いた。

「ごめんなさい……私、人を捜さなくては……」  

「大丈夫ですよ、私が一緒に捜してあげましょう」

「え……でも……」

彼は私の言葉を遮るかのように肩を抱き、またもや強引にテラスへ連れだした。

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テラスからは庭に零れる大広間の明かりがよく見える。舞踏会の楽の音がうっすらと聞こえる中、私達はテラスに手をかけ、遠くを眺めていた。

強引とはいえ、何故かこの人に従ってしまう私。誰もいない二人きりの空間に恐怖心が沸き起こり、そっと彼を見上げる。筋のとおった鼻、形の良い唇。夜風にさらされる柔らかな髪。そして、しなやかな肢体。仮面をつけたままの横顔が月の光に映し出されて、それは、驚くほどに美しい光景だった。

早くここから立ち去るべきだと分かっているのに、私は縫い止められたようにその場から動けない。

「こんな月夜は人の心を覗いてみたくなりますね」

彼は私の正面に立つと少し不敵な笑みを浮かべて語り始めた。

「ねぇ、本当は今日の舞踏会……あなたは誰と踊りたかったんでしょう? 先ほどの彼でもなく、私でもない……あなたが愛する誰か……でしょうか」

「……愛する人……なんて」

「いないと仰る? いえ、あなたは恋をしているのでしょう……それも、人には言えない……」

「……勝手な事を言わないで」

「勝手……そうでしょうか? 先ほどの捜したい相手とは……その想い人なのではありませんか?」

「そんなこと……ないわ」

「フフッ、ではどうしてそんなに動揺しているんでしょう? 素直な方だ。ほら……あなたの瞳、微かに揺れ動いているのが見えますよ」

彼は私の顔に手を沿えるとフッと仮面を取り外した。

「イヤッ」

驚きと恐怖心があいまって思わず顔を伏せてしまった。触れられたくない場所に土足で踏み入る相手に、感情が抑えられそうもない。

「どうして……どうしてこんなことをするの?」

「……あなたの……あなたの心が知りたいから……」

私に気圧されたのか、今まで余裕然としていた男性に少し戸惑いが混じり始める。

「私の心なんて貴方に関係ないでしょう! ……私のことを見透かしたようなふりなんかしないで! 私が……私がどんなに想っていても本当のところなんて誰も知らない、誰にも言えない! ……そんなこと、貴方に言われなくったって!!」

いつの間にか涙が溢れていた。初めて肌を重ねたあの日から、変わらないどころか強まっていくカインへの気持ち。誰にも知られてはならない、この禁忌。

でも……どうしてこの人は知っているの?

「もう……私のことは放っておいてください……」

「……できない」

「……!」

かすれたような小声で呟くと突然私の身体を強く抱き寄せた。

「あのっ……困りますっ」

もがいて抜け出そうとしても力が強くて敵わない。

嫌……カインじゃないと嫌!

「お願い! 離して!」

突き放そうとした瞬間、彼の口から吐息まじりに言葉が零れた。


「……ごめん……姉上、俺だよ」

耳元に受けた台詞に驚いて顔を上げると、彼は腕を少し緩めて仮面を取り外した。

「カイン……?」

紛れもなく私の知っているカイン、同じ色の瞳を持つ……私の半身。

「……どうして?」

「……姉上にいたずらしてみたかったのかもしれない……。ううん、それよりも姉上の本音が知りたかった」

「……」

「姉上?」

「……カインの馬鹿! 怖かったんだから!」

思わずカインの胸元に顔を埋める。香りは違うけれど、がっしりとした胸はいつもの感触。安心したせいか、また涙が零れてきた。

「姉上……すまない。泣かせるつもりなんてなかったんだ」

私を抱く腕にぎゅっと力がこもる。耳元で囁くように謝るその声が不覚にも心地いい。

「でも、姉上の気持ちがわかって嬉しかった。ずっと不安だったんだ……」

「……カイン……」

「俺はいつだって姉上を見ているのに……姉上は本当に俺を愛してくれているのか、真実が知りたくて、仕方がなかった……。今日だって……何故俺と別行動したいだなんて言いだしたんだ? 俺は姉上に傍にいて欲しかったのに……」

「……そ、それは……」

「何? 俺に言えないことでもあるのか?」

「違うわ! ……ただ……貴方の傍にいるべきなのは、私じゃなくて王妃なんだ…って思ったら、少し……ほんの少しだけ、居辛く思ったの。……ごめんなさい」

「姉上……」

カインは私の顔を両手でそっと包み込み、ゆっくり顔を近づけてきた。

「駄目……誰が見てるか分からないわ……」

「大丈夫……誰もいない……」

聴き取れないほど小さく呟くとそっと唇を重ねた。


「んっ……」

いつもより少し強い……引きあうようにして身体を強く結びあった。唇から感じる熱にまるでお互い酔っているよう。ふっと少し離れると、カインは真剣な表情で口を開いた。

「姉上……もう一度言う。俺が傍にいて欲しいと思うのはただ一人、貴方だけだ。……なのにごめん……不安にさせて。姉上のこと、一生守ると誓ったのに……」

眉間のあたり影を落とすと言葉を続けた。

「さっきだって、他の男に手を差し出す姉上を見て心臓が止まるかと思ったよ。俺以外の男が姉上に触れるだなんて……」

「カイン……助けてくれてありがとう」

カインは優しく目で微笑むと、私の頭に手を回して引き寄せ、そっと頬を重ねた。

「……クスッ、でもまるで分からなかったわ」

「フフッ、当たり前だよ。姉上をびっくりさせたかったんだ。俺を放っておくからさ」

「だって……え、じゃあ……今年は仮面舞踏会がいいと言い出したのはこのために?」

「さぁ、どうだろうね」

そう言って軽くウインクをするカイン。

「もう、カインったらっ……!」

まったく……いたずらが見つかったにしては余裕がありすぎる。一体誰の影響かしら?

「じゃあ姉上も、これに懲りて変なことを考えるなよ」

「ええ、そうね」

少し笑って私達はもう一度口づけを交わした。さっきよりも熱くて長い。

誰かに見られているかもしれない……そんな緊張さえも忘れて唇に舌を絡ませ、私達は互いを求め合うよう想いを確かめあった。

「姉上……んんっ」

肌に触れる冷たい風に逆らうようにほとりが口の中へ溶け込んでくると、胸の奥から溢れ出すうっとりとした熱が身体を支配し始める。首筋に添えられたカインの手からさえも感じる鼓動。もっと触れられたい、触れていたい、抑えられない気持ちだけでのぼせてしまいそう。

二つの口から零れる熱い吐息が交差するこの空間……このままずっと二人だけで……そう願ったのも束の間。

「ごめん」

人の気配を察したのか、カインが私から素早く離れた。

振り向くと遠方に微かに見えた人影は、少し早めの歩調でこちらに近づいてくる。

「お前達、こんなところにいたのか」

月明かりに照らされて現れたエドガーの顔は明らかに怒っていた。

「エドガー、どうしたんだ?」

「どうもこうもない、ジークが お前がいない と大騒ぎだ」

「あっ……そうだった。カインのこと、捜していたのよ!」

「そうか、済まない」

「全く、接客を放り出してこんなところに逃げ込むとは、国王の風上にも置けん」

「ははっ、そういうエドガーも逃げてきたんじゃないのか?」

「フン……くだらぬ、お前と一緒にするな。はぁ、こんな場に付き合っておれぬわ。私は部屋に戻るが、お前達は早く広間に行くように」

それだけ言い放つとエドガーは宮殿に向かい、歩き出した。

「エドガー、ありがとう」

聞こえなかったのか、カインの声には反応を見せることなく、次第にその姿は見えなくなった。

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「ふう……びっくりした……。でも良かった、エドガーには見られてないみたいね」

「フフ……姉上は本当に素直で可愛いな」

愛しそうにカインが私の頭に手を添える。

「カイン、茶化さないで!」

「? 茶化してなんかいない、本当のことだ。エドガーなら大丈夫だよ」

「どうして断言できるの?」

「姉上は何も心配しなくていいんだ。姉上……信じてくれ、俺のこと……愛してくれているなら……な?」

カインの言葉、そしてその暖かい手に触れるだけでわだかまりが解けていくのを感じる。

私はカインの服の裾を掴むとそっと小さく頷いた。

「姉上……ありがとう」

カインは私の額に軽く口づけるとゆっくり囁いた。触れる吐息に私の胸はまた高鳴る。

「さぁ、戻りましょうか。きっとジークは血眼になって捜してるわ」

「ははっ、そうだね」

まだドキドキしている私が少し早めに歩き出すと、カインが腕を伸ばし、手を握り締めてきた。

「もう少しだけ、姉上に触れていたいんだ。……いいだろう?」

私はカインの言葉に応えるようにして、堅く握り返した。




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